ムジカテラス
お知らせ
4.金の瞳
大地を轟かす馬の足音が近づいていた。ミラールとランはそれがやってくる方向を睨みながら、 手綱を握る手に力を入れる。
「ミラール」
その場の緊張感とは裏腹に、ランの声は落ち着いていた。
「ん」
「風《ウィア》、呼んでおけよ」
ランの第六感が、警鐘を鳴らしていた。それをミラールも感じ取っていたらしい。小さく精霊語を呟くと、ひゅうっという音と共にミラールの周りに風《ウィア》が集まってくる。
道の向こう側に砂埃が立つのが見えたと同時に、それは姿を現した。ランとミラールは思わず目を見開いた。
「魔……」
それは馬車であった。2頭引きの、小さいがしっかりとしたつくりの馬車だ。だが、その客車部分には隙間なく魔物が張り付いているのだ。
灰色の頭がうぞうぞと動く。ところどころ飛び出ている木の枝のようなものは、異常なほど細い腕だった。
「行くぞ」
目の前を過ぎる馬車を、間髪入れずに追いかける。ランは片手で手綱を握りながら、片手に剣を抜いた。狂ったように走っている馬達。だが、ランとミラールは馬車を引いていない分、早く走れたのですぐに追いつけた。
追いかけてくる人間の敵意に気がついたのか、へばりついていた魔物の一匹が、牙をむき出してランに飛びついてきた。
「っとうしい!」
剣でそれを切り払う。それは耳障りな甲高い声を上げて、路上に叩き付けられる。それに目をやることもなく、ランは前を見据えた。
「ミラールは援護してくれ! 御者が気を失っているだけであれば、起こして止めさせる!」
そう言っている間にもミラールの風《ウィア》は魔物をなぎ払い、ランの剣は向かってくる無謀な魔物たちを切り払った。
(あと、何匹いるのだろう)
一瞬見ただけでは数えられないほど、その数は多かった。
「無事じゃなければ?!」
「飛び乗って止めるだけだ!」
ランはそういうと、ラルディの腹を蹴った。ラルディは忠実に自分の足の能力を引き出して、ランを御者の居るところまで運んで、並走する。
「《ウィタ・メル》!」
馬車の後ろにぴったりくっついていたミラールは、風《ウィア》を駆使して魔者達を引き剥がしていた。馬車が走っているために生まれる風に加わった風《ウィア》の威力に負けた魔者達が、次々と悲鳴を上げて地面に叩き付けられる。
その悲鳴はミラールの耳元で、長く響いているようだった。
「きりがないよ」
誰に聞かせるわけでもなく呟いて、ミラールは右手を振り払う。
「《メル》!」
一方、追いついたランは、ふと御者の居る方向へ目をむけた。首から血を流して倒れている様子を見ると、生きているとは言い難い。
ランは少し、馬車から離れて魔者達を眺めた。ミラールが頑張ったおかげで、いくらか少なくなっていた。
(馬をなだめなくては…。このままどこかの町に突っ込ませるわけには行かない)
まっすぐいけば、オオガに突っ込むだろう。自分の方向感覚と距離感が狂っていなければ、あと、丘を一つ二つ越えればつくところにあるはずだ。
「ラルディ。頼むぞ」
ランは愛馬の首に手を振れると、ゆっくりと馬車に馬を寄せた。
「《アルタ・ディス・トヴァ・ラン…》」
口のなかで小さく唱えてから、ランは不安定な馬の上であるにも関わらず、立ちあがって均衡を保った。
馬車に手を伸ばすランに、魔者達が威嚇のような声を上げた。
「……地《アル》の結界に触れる勇気があるんなら、試してみな……」
魔物に言葉が通じるのかどうかわからなかったが、つぶやいて、ランの手は御者台の横に備え付けられた手すりのような部分を握った。ラルディが主人の考えをよく理解しているようで、馬車の速さぴったりにくっついて走っている。
集中したランの耳に、風の音は聞こえていなかった。
ランがこの馬車に乗りこむのを阻止しようとする魔物が、ランに手を伸ばしたがその肌に触れる前に、何かに弾かれた。ランは、ぐっと手に力を入れ、同時にラルディの背中を蹴り、御者台に飛び移った。すかさず剣をかざして、爪をたてたり牙をむく魔者達を容赦なく切り捨てる。
「しつこいんだよ!」
魔物が少なくなったとはいえ客車の中は、確認できない。ひとまず、馬車を止めなくては…。死体となった御者から手綱を奪い、声を張り上げて馬達をなだめようとする。
「ラン!林を抜ける!」
後ろから追いついてきたミラールが、馬車の横について怒鳴り声をあげた。
「道から外すから、風《ウィア》で衝撃から守ってくれ!」
「わかった!」
ランは林を抜けると、馬車を道から外させて丘陵をかけさせた。いったん下り、あとはだんだん登っていく丘を駆けさせて、馬の速度を落とさせていく。
「どう!」
ランは一気に手綱を引いた。馬は嘶いて、前足を大きく上げてその場に止まり、反動でランは草むらに落ちる。
「うおわっ」
一回転してランの体は止まった。
「って…」
後頭部に手をやるラン。その隙を狙って、しつこく馬車にしがみついていた最後の魔物が襲い掛かった。
「《ウィタ・メル》」
ミラールの声が聞こえたのと同時に、魔物は風《ウィア》に吹き飛ばされた。すかさずランが立ち上がって、倒れた魔物に剣を突き立てた。
生々しい嫌な声が響き渡る。静けさはすぐに訪れて、ランは剣を魔物から引き抜き血を振り払った。その血の色は赤ではない。それを見て大きく息を吐いた。
「ありがとう、ミラール」
ミリアを操って、ランの側までやってきたミラールが満足な笑顔を浮かべる。
「どういたしまして」
主人の仕事が終わったと察したのか、ラルディがゆっくりとランに近寄って、鼻先を向けた。ランは、ねぎらうようにその首をなでてやると、顔を止まった馬車に向ける。
「御者は殺されていた。中は空っぽであったことを願いたいけどな」
剣を鞘に戻したが、その柄に手をかけながら、ランは馬車に近寄る。馬達が荒々しい鼻息をもらし、まだ興奮が冷め遣らぬようであった。
扉に手をかけ開けようとして、そこにさりげなく描かれた紋章に気がつく。光宮《ヴィリスタル》の紋章。
本当に、それはさりげなく描かれていた。だが、明らかにこの馬車が宮に……光宮《ヴィリスタル》に属するものだということを、示している。
「襲われたのは…《ヴィリスタニア》か?」
《ヴィリスタニア》、それは光宮《ヴィリスタル》に仕える者達の総称である。呟くランに気づいて、ミラールがミリアから下りて近寄り、顔を寄せて覗き込み確認する。
「変だね……。護衛はいなかったけど」
「なら、御者だけがどこかに《ヴィリスタニア》を迎えに行く途中だったとかか?」
「もしくは、ヴィリスタニアを護送中……?途中で護衛も……」
ランとミラールは顔を見合わせ、お互い頷いて扉を開いた。
「う…」
思わず両者から言葉がもれる。締め切られていた扉から、開放された空気が嫌な匂いと共に、流れ出した。これは、……血の匂いだ。
そこには、一人の女性が倒れていた。鮮血に染まった質のいいドレスに身を固めて。
その上に一人の少女が座っている。普通に、ごく普通に長椅子にでも座っているような感覚で。
「女の子……?」
ミラールが無意識に呟いたが、ランはそれに心の中で否定した。言葉にするという意識さえ、どこかに消えていたのかもしれない。
(いや、人間じゃない)
その顔が笑みでゆがんだ。
(魔物?)
少女はその手に何かを握っているらしい。その両手から、血が滴り落ちる。黒い目と黒い髪の少女だ。年の頃はラスメイと同じくらい。だが、それの発する雰囲気は、尋常ではなかった。
ランとミラールはその少女に目が釘付けになった。
(魔物?いや……でも)
ランは息をのんだ。普通の少女では持ち得ない、異常な圧迫感。
(人の形をしている。完全に)
「このまま、帰ろうと思っていたのに」
女の死体の上に座ったまま、少女はそう呟いた。声は、少々高めだが、人間のものだ。ランは、柄にかけた手に力をこめた。
「邪魔されちゃった」
少し残念だというように、少女は首を傾かせる。
(偽りだ)
ランは少女を見つめる。
(その感情は作り物……)
学んだことを忠実に再現しているかのように、その表情には違和感があった。
「怖い顔、しないで」
少女は笑う。毒々しいまでに赤い唇は、血の色か。
「邪魔されても、私は怒ってないから。あれらが殺されても、怒ってないからね」
微笑む。
(危険だ)
ランの思いに反応するかのように、ミラールの手がピクリと動いた。
「いやだなあ……。そんな顔しないでよ」
すっと死体から腰を上げて、少女は服の埃を払う仕草をする。その一挙一動に警戒している自分を見つけて、ランは苦笑せざる負えない心境だった。だが、笑みは口元に上らない。真剣な顔をして少女と相対する。
「これはお前の仕業か」
声がいつもより低くなる。声は震えてはいない。ランは一生懸命に自分の中を確認した。圧倒されてはいない……、この見知らぬ少女に。
なめやかに赤い唇が歪んだ。奇妙なぐらいに艶やかに。
「そうだよ」
「何者だ。お前は」
彼女がちょっと身じろぎする。血の匂いが少し流れてランの鼻を突いた。
「お兄さんは分かってるんじゃないの? そうかもしれないっていう仮定ぐらいは持ってそうな顔を しているよ?」
人をおちょくるような言い方に、敢えて反応を返さない。少女は楽しそうにランの顔を覗き込む。
「……かもしれない。そうであるはずがないって、何度も考えてる。そんな感じだね?」
少女は楽しそうに微笑み、ミラールに視線を返して、にやりと笑う。
「そっちのお兄さんはどうなの? 私のこと、考えている余裕もないのかな?」
「魔物……なのか……」
ランのつぶやきに、少女はくすくすと笑って答えた。
「どうなのかなあ。魔物って言うのは、勝手につけた名前でしょう? 私自身は自分のこと、魔物だなんて思ってないもんねえ」
「では、闇魔術師《ゼクタ》……か?」
「さあ。それもまた違う気がするなあ」
少女はくすくすと笑いつづけ、ランの顔を覗き込んだ。
「なあんにも知らないんだね? そんな目の色をしているくせに」
ランの頬が一瞬引きつった。その表情の変化を少女は見逃さなかった。
「継いだのはそれだけ?」
「何を知っている……」
威嚇するようなランの目を、少女は興味深そうに見詰める。その様子をミラールが心配そうに見守っている。
「ふふふ……。怒らないでよね。またどうせ会うことになるんじゃないかな。そのときにね」
少女の体は足元から消えていく。
「待て! おまえは一体!」
答える代わりに少女は、消えかける腕を上げて、指でランを示した。
「その緑色ももらってあげるね。必要じゃないけど、奇麗だから……」
ランを示した指先が消えていき、少女の声だけが残り、体は完全に消えてしまった。ランとミラールは、その場に立ち尽くしてしまう。ランは唇をかみ締め、ミラールは少女の存在を訝しがるように眉間に皺を寄せて。
「……さっきのは、魔物なの?」
ミラールのかすれた呟きが、ランを我に返らせた。ランは、ミラールの問いかけに答えずに、倒れている女に近づいた。
(緑色『も』?)
髪は亜麻色、肌は白。ランは、ゆっくりと仰向けになっている体を起こさせかけたが……。
一瞬、恐怖とも何ともつかぬ感覚に襲われて、手を引っ込めた。あるべき所に、あるべき物が無い。
「目か……」
「ラン、その人、かすかに光《リア》が」
二人の声が重なる。ランはミラールを振り返り、ミラールは怪訝な顔で彼を見た。
「目?」
「光《リア》?だったら、この女……」
ミラールが答えを求めて、ランの肩越しに彼女の顔を見た。
「……な……い…」
そこには暗い空間が二つあった。
「あの子供が持ってたものはこれだったんだよ」
握られた手のひらから零れ落ちる赤い色を、はっきりと思い出せる。ランは手のひらを自分の額に落ち着きなくのせた。
「金色の瞳をくりぬいた?」
「そうだ。理由は分からないけどな」
ミラールは目を細めながらその遺体を見つめる。他の部分に傷は一つもついていない。大量の出血は首と目からだった。ランは額に乗せた手をずらし前髪をかきあげると、忌々しそうに息を吐き出す。
「宮の使者かなんかだろう。だとしたら、護衛がいたはずだな。そいつらは、もっと前にやられたのだろうか?」
「そう……かな……」
ミラールが未だに動悸を押さえられない顔をして、あやふやに答えた。ランとて、平気なわけではなかったが、一生懸命に自分を落ち着かせる。
ランは、自分の外套を彼女にかけた。今や見るのも無残なものと成り果てた顔をさらされることを、この故人は望んでいないだろう。
「俺の緑色ももらってやるって言ってたからな。目が目的だろう」
ランは自分の目に手をかざした。確かに自分のようにはっきりした緑色の目は、見かけたことがない。セアラの赤い目と同じぐらい珍しいのではないだろうか。暗い緑色の目を持つ者は存在するので、普段はそんなに意識するほどではないのだけれど。
「必要じゃないけど……か」
「金色の瞳は必要だったってこと?」
眉間に皺を寄せるミラール。
「ねえ、襲われたのが、金の瞳のせいだとしたら、あの女の子は魔物を扱えたってこと? 第一、あれって魔物といえるの? 人の形をしていて、しかもしゃべったよ」
「魔物が操れるか、それとも血の匂いに引き付けられたかだ。でも、アレ達がって言っていたしな……」
ランは大きく息を吐く。魔物のことなど、くわしくは誰も知らないのだ。分かっているのは、ほんの一握りのことだけ。
「あの子供の正体は分からないけど、兎に角、二人に合流することが先決だ。そして、報告しなくてはな……あのままでは」
ちらりと見た先には、《ヴィリスタニア》の遺体がある。ミラールは軽くうなずいた。
「オオガには光宮《ヴィリスタル》の分宮《ヴィアル》があったね。たしか」
ランは大きく息を吐いた。放っておくこともできない。追っ手や時間のことが気にはなるが、仕方がないだろう。
「それなら、行くか」
「僕、二人を呼んでくるよ」
「いや、俺が……」
「いいよ。ランは、見張ってて」
ミラールは、ランを一人にしておきたかった。なんとなく、気を滅入らせているような気がしたから。
その理由は、なんとなく分かる。多分、落ち込んでいると言えば、ランはむきになって否定して、無理にでも気持ちを浮上させようとするだろうけど。
(目のこと……言われたから……)
思い出してしまうのだろう、いろんなことを。だてに物心ついたころからいっしょにいるわけじゃない。
そっとしておこう……。
心配をしながらも、ミラールはミリアを走らせた。