ムジカテラス
お知らせ
1-2-4
◇
どこだか、分からない部屋で、エノリアは目を覚ました。
(ランとかいう男に、ここに連れ戻されて、それから……)
記憶をたどりながら、窓の外を見た。暗くなってしまっている。
(なんや、かんや言って、今まで寝ちゃったんだ……)
肩を動かしてみる。まだ、ずきずきとするが、あの怪我から考えると、嘘みたいな治り方だった。荷物はきちんと寝台の側においてある。屋敷はしんと静まり返っていて、あの男ももうひとりの青年も、寝てしまっているようだった。あと、光《リア》を吹き込んでくれた魔術師らしき青年も。
(夜か……。ちょうどいいや……)
寝台から降りてみると、昼よりは足がちゃんと動いてくれた。寝台の上にかけてあった外套を、さっとかぶり荷物を抱えた。
(何が起こるか、わからないし)
夜なら夜で、なんとか闇にまぎれて逃げる手もありそうだ。
エノリアは、そおっと部屋を抜けると、廊下に誰も居ないことを確認した。そして、階段を降りて行く。みんな寝ているのか、物音一つしなかった。
(助けてくれたことには感謝します)
お礼を言ってないことに気づいて、エノリアは心の中でそう言った。
(でも、ここにいて迷惑をかけるわけにもいかないので)
居間におりて皆段を見上げた。
(何も言わずに出て行きます……)
ちょっと頭を下げて、エノリアは扉のほうを振り返った。しかしそこには。
「どこいくの?」
「きゃあああああ!」
暗闇の中に、赤い目をした青年が立っていた。気配もなにもなかったのに、ふいをつかれて思わずエノリアは叫び声をあげてしまう。
「そんな声を出したら、みんな起きてしまうよ」
彼はそう言って、近くの燭台に明かりを点けた。魔術をつかって火《ベイ》を呼んだことを、エノリアは気づかなかった。
「な、なんですか……貴方は」
「ここの住人だよ? ああ、君は半分気を失ってたから、覚えてないかな」
そういえば、あのときに見た気がする。恐ろしく整った顔をした青年を。
「エノリア! どうした!」
叫び声を聞いて、ランが片手に剣を持って階段の上に現れた。そして、セアラが笑って手を振り、エノリアがきょとんとしているのを見て、一気に脱力する。
「……誰か、襲撃でもしてきたかと思ったら……。あんたかセアラ……」
「人聞きの悪い。このお嬢さんが暗闇に紛れていた私を発見して、少々驚いただけだよ」
「ラン、なんかあった?」
のほほんと後で現れて、ミラールは脱力しているランの肩に手をおく。そして、エノリアが起き上がっているのに気づいた。
「あれ、エノリアさん。起きれるようになったんだ。よかったね?でも、外套なんか着て……寒かった?」
ミラールの目は、そうだとは思っていないようだった。
「わ、私」
セアラが柔らかい笑顔を見せる。誰もが魅了されるその笑顔を、エノリアは焦りでまともに見ていないようだったが。
「ここから出て行くつもりだったんだろうけどね。ちょっと無理だな。すぐに、城の手のものに捕まってしまうよ?」
「でも、ここに居ては皆さんの迷惑に……」
ランとミラールは階段を降りていく。
「もう、手後れだって。あのとき、お前を助けたときから、俺らも関係者になっちまったんだよ」
ランの言いようは、あまり優しいとは言い難い。エノリアはなぜか、彼の言い分だけは素直に聞けなかった。
「そんな言い方ないでしょう!」
「どんな言い方したって、事実は事実だ!それに、俺もミラールもセアラも、それが迷惑なんて思ってないしな!」
そういえば……。エノリアはさっきのシーンに思いをはせる。
(自分の叫び声を聞いて、こいつは、焦って飛び出してきてくれたっけ……)
そう思っても、態度を急変させることは出来なくて、エノリアはランにきつい目をむけていただけだった。
「まあまあまあ、ここで立ち話もなんだから、座ろうよ」
ミラールが仲介を入れ、セアラが話を繋げた。
「それに、エノリア。君には話があるんだよね。座ってくれるかい?」
ランには噛み付いてしまうのに、なぜかこの青年たちには素直に従ってしまうエノリアである。おそるおそる長椅子に座り、ランと目が合うとふんっと顔を背ける。
「……この……」
「まあまあ。ラン」
こんな仕打ちをされたままでは、虫の居所がよいわけがない。ミラールがランを押さえながら、自分の隣に座らせる。ミラールもランも薄手の服を着ていて、本当にたった今まで、寝ていたことがよく分かる。ただ、セアラだけが普段の格好をしていたので、エノリアは少し疑問に思ったのだが。
「さて、エノリア。まずは……」
「ちょっと待ってよ。なぜか知らないけど、あなた達は私の名前を知ってる。でも、私はこいつの名前しか知らないわよ。そんなの失礼じゃない?」
「……こいつぅ?」
「ラン、いちいち怒らないでよ」
こめかみに青筋の立つランを、再び抑えながらミラールはエノリアのほうに微笑んだ。
「僕は、ミラール=ユウ=シスラン。一応、音楽家を目指して修行中の身だよ。知ってるだろうけど、このランは、ラン=ロック=アリイマ。剣士でもあり魔術師でもあるんだ」
「そして、私が彼らの養い親で、師でもあるセアラ=ロック=フォルタニー。まあ、いちいち言わなくても、名前ぐらい聞いたことあるよね」
エノリアはしばらく無言だった。一生懸命その名前を思い出そうとしていた無言と、思い出した後の驚きからくる無言の境目は見ていた三人には、はっきりと分かった。
「……冗談でしょ……。なんの悪ふざけ……」
まだ信じられないエノリアは、セアラをまじまじとみた。セアラは微笑んでみせる。女性とも身間違える整った顔。確かに、赤い瞳は伝説と同じ……。
「どうみても……二十歳前後よ……。一歩譲って貴方がセアラだとしても、五百年は生きているんでしょ?」
「ふふっ」
「ふふっじゃない! やっぱ、その年齢不祥の格好、やめろよ」
「大魔術師のくせに五百歳が五百歳って分かる格好してたら、示しがつかないじゃないか」
「誰に示しをつけるんだよ!」
ったく……。とつぶやいて、今度は一人で怒りを抑え、ランは長椅子にふんぞり返った。眠そうにあくびをすると、話の先を続けるようにと手を振る。
「怒りっぽい、性格なのね」
「そうでしょ?私も困ってるんだよ。私の育て方に問題があったのだろうかねえ……」
「ううん、もともとの性格だと思う。セアラさんが悪いわけではないと思うの」
「エノリア。君はいい子だね」
ランは目をつぶって耐えていた。その努力を認めたのは、おそらくミラールだけだっただろう。
「ねえ、セアラ。エノリアさんに話があったんでしょう?」
「ああ、そうそう。ダライアと連絡をとってね」
その言葉を聞いた瞬間、エノリアの体が固まった。宮と連絡をとった…。
「ああ、心配しないでいいよ。ダライアは君を上手く逃がしたいらしいから、味方みたいなものだね。いまのところ」
「で、何か……」
「どうやら、君が宮を出た後、月の娘《イアル》が行方不明。そして、君の侍従が死んでいたらしいよ」
あっさりと、今日は晴れで明日も晴れですよ、とでも言ったかのように、エノリアには聞こえた。だが、セアラのその言葉を頭の中で反復してみる。何度も何度も繰り返してみる。どこか、聞き間違えてはいないか、どこか聞き落としてはいないか。でも。
(……嘘……)
「嘘でしょ……」
「本当だろうね。ダライアがそんな嘘をつくはずないから」
「うそよ」
ひどく頼りない断言をして、エノリアは硬直した。
「きっとそれでわたしをおびきだしてそれでそれで……あああ……うそよ……。リーシャはしんでなんかいないわ。シャイナがいなくなったりしない。そんなことそんなこと!」
「エノリア」
がたがたと震え出したエノリア。目の前に座っていたランが声をかける。聞こえているのか、聞こえていないのか、エノリアはその声に反応せず、組み合わせた自分の手を見つめていた。
(リーシャ……)
どうして思い出すのは笑顔だけなのだろう…。大嫌いなあそこで、大好きになれた人たち……。リーシャ。シャイナ。
その二人が……。
「どうして……」
「ゼアルーク王は君のせいだと思っている」
エノリアは目を上げた。涙は浮かんでは居なかったが、今にも零れ落ちてきそうな目をしていた。隣に座っていたセアラが容赦なく言葉を続ける。
「ゼアルークは自分の目の前に現れた不思議な子供に、二つ目の太陽が破壊神を呼ぶといわれたらしい。そして、君が宮を出た瞬間に、リーシャは殺され、月の娘《イアル》は行方知れず。ローザは現場に闇《ゼク》の匂いが残っていたというし。で、どっちにしろ君が宮を抜けた以上、殺そうと思っていたゼアルーク王は、ここぞとばかりに君を狙い出した」
「私が……破壊神を」
「まあ、本当かどうかは分からないしね。その子供だって、いったい何の使いなのだか?」
「私のせい?リーシャが死んだのとか、シャイナが居なくなっちゃったこととか…」
エノリアは、セアラの赤い目を見詰める。金色の目は、痛々しいほど美しかった。
唇が小刻みに震えている。言うか、言うまいか、迷った様に開いたり閉じたりしていたが、かすれた言葉が押し出された。
「魔物が現れたのも、私のせいだと思う?」
ミラールもランもはじかれたように顔を上げた。セアラだけがその言葉を冷静に受け止めていた。エノリアは今まで考えていて、しかし、言ってはいけなかった一言を口にした。いままで、気づかなかったわけではない。でも、自分が二人目の太陽の娘《リスタル》と呼ばれるたびに、その特異性を考えずにはいられなかった。そして、行き着くのは、自分が生まれた時と同じぐらいに、現れ始めた魔物達……。
嘘だと思いたかった。今までは何かの偶然だと思えていた。だけど、自分が宮から出た瞬間、シャイナが消え、リーシャが死んだ。
「……君にまつわる私の考えは、あまり甘いものではないよ」
真面目な顔をして、セアラがエノリアに言う。
「強すぎる光《リア》は闇《ゼク》をも強める。これは、ダライアには言わなかったことだがね……。まあ、私の考えはこれだけだよ。勿論、実証されたわけじゃない。私にも、二つの太陽って言うのは初めての経験だからね」
「……私が原因だと思ってるってことね。それは」
「可能性は高い」
エノリアは黙りこくってしまった。下を向いたまま、一言も声を漏らさない。息さえも押し殺しているようだった。ランはエノリアの金色の頭を見つめ、ミラールはそんなランを見ていた。セアラはエノリアの次の言葉を待ち、黙っている。
どれくらい時間が経ったのか、誰も正確に把握はしていなかった。エノリアが頭を下げたまま、つぶやいた。
「ラン……だっけ?ナイフを持ってる?」
「あ?……ああ。いや、部屋に行けばあるが」
「駄目じゃない。いつだって備えは大切でしょ。でも、ならいいわ」
エノリアは顔を上げると、立ち上がり自分の荷物から剣を取り出し、すばやく抜いた。
「お、おい!」
自分の金色の髪を一まとめにすると、剣を首のほうへ持っていく。
「やめろ!」
「手を出さないで!」
ランを睨んだ目には、死を覚悟した人間の持つ光はなくて、ランの手出しを止めた。
ざくっ
小気味のよい音がして、床に光が散らばった。ミラールもランも目を見開き、セアラだけが楽しそうに唇を歪めている。エノリアの手には、あの豊かな金髪の束が握られていた。不揃いな髪の毛先が、細い首に優しく触れていた。
「二つ目の太陽の娘の仕業なんて言わせないわ! 私が、シャイナを見つけ出してみせる! 魔物の現れる原因を突き止めて、そして、リーシャの敵を討ってみせるわ!」
力強い金色の目の光。意志と生命がこんなにあふれる目を、ランとミラールははじめてみたと思った。そして、圧倒された、彼女の強さに。ランは自ら求めないものを持ってしまった彼女の、それにはっきりと宣戦布告をしたその姿がとても美しいと思った。口には出さなかったが。
自分に似ている彼女の背負ったもの。それに立ち向かう彼女と、逃げようとしている自分……。ランは唇を噛んだ。なぜか、とても悔しかった……。
「あははははは……。いいよ。いいね、君。すごくいいよ!」
セアラのばか笑いにランとミラールはまた、圧倒される。
「絶対、そうは言わないと思ってたんだ。だから、どう説得しようか悩んでいたのだけど…必要なかったね」
エノリアは立ち上がったまま、セアラの思いがけない反応に目を丸くする。
「ど、どういうこと……」
「いやあね、月の娘《イアル》は探し出さなくちゃいけないだろ?でもね、探す術が無かったんだ。一つだけ方法は思い付くんだけど、どうも不可能に思えて……。でも、君が居たんだったと思い付いて……」
「あの、もっとわかりやすく」
「ああ、そうだね……。何しろ、君をどう説得するかで頭がいっぱいだったから……。つまり、太陽と月は対なるもの。アライアル創世記には書いてないけど……、ほら、最近話題になった『月と太陽の娘』は読んだかな? 読んでない……。読んでみるといいよ。ユセ=ダルト=カイネと言う歴史学者が出したのだけど…。カイネ家は代々、いい歴史学者をだしているねえ。感心するよ」
「…セアラ」
「ああ、そうだったね。そこでは、太陽の娘《リスタル》と月の娘《イアル》は双子だったのだろうと書いてある。私もそうじゃないかと思ってるんだけどね。で、だ。太陽と月は対なるもの。ああ、これはさっき言ったね。もとは双子で、昼と夜を司り、つねに惹かれあう者だ。代々の月の娘《イアル》と太陽の娘《リスタル》は親友同士になることが多いのも、これが所以かもしれないね。まあ、つまり、二人は引き合うのさ。これが最後の手段だった」
「……で、セアラ。もっとわかりやすく言えよ」
「ラン、君は一を聞いて、十を知るということを学習しなくてはいけないな。つまり、居なくなった月の娘《イアル》を探すには、太陽の娘《リスタル》に探させるのが一番ってことさ」
「でも、本当に太陽の娘《リスタル》を出すわけにはいきませんよね。それこそ、大騒ぎになるから」
ミラールが口を挟むと、セアラは満足そうに頷いた。
「でも、君がいたんだ。エノリア。君が君の望むように旅をするといい。必ず、その先に月の娘《イアル》がいるだろう。君は月の娘《イアル》とは大変仲がよかったと聞くしね」
セアラは立ち上がって、エノリアに近づく。そして、彼女の両頬を両手で包み込んだ。
「君の望む旅に出なさい。エノリア。先を邪魔するものは多い。ゼアルークはきっと君を殺せば全てが解決すると思っているだろう。でもね、それでは何も解決しないのだよ」
セアラの赤い目には、エノリアの驚いた表情が映っていた。道は、開かれた。
「君は君の幸せを見つけなくてはいけないし、その先に死だけが待っているなど許されない。君が今、死んでも、この先同じことが繰り返されるかもしれない。今、ここで君の意味を知らなくてはいけないんだよ」
赤い瞳というのは、なんとも不思議な光をしていると、エノリアは思った。まっすぐに覗き込まれると、不思議な気分になる…。
「……はい」
エノリアははっきりと返事をした。
「で、君だけでは危ないから、私も着いていきたいのだけど、私は多分、これから王城に行かねばならないと思う」
セアラは、その体を窓のほうに移動させた。三人を手招きして、外を見せる。広い庭の向こう側、門の近くに明かりがちらほらと見えた。
「誰かきてるのか」
「王宮からの使いだよ。というより、使いが来るまでの見張り役みたいなものかな?さっき、ゼアルークのお抱え水魔術師《ルシタ》に、ちょっかい出したことを、ちょうどいい理由にして、私を捕らえに来たのだろう」
「あんたはまた!」
「ダライアとの話を聞かれたくなかったからなあ。聡明な王と言われることはある。なにか察したらしいね。まあ、この事態に私を城に置いておきたいというのもあるだろうね。……随分勝手だが……」
セアラはくるりと体を反すと、三人に向けていった。
「私の代わりに、エノリアとともに行って欲しい。いいね」
ランとミラールにそういうと、二人は頷くよりほかになかった。
「分かった。責任は果たす」
「大丈夫。安心して」
満足そうな笑みを向けて、セアラは頷いた。
「しばらくなら時間も稼げる。はやく荷造りして裏から出なさい。結界を張るから、気づくものはいないはずだ」
早く、と急かされて二人は自分の部屋に戻っていった。エノリアはその間に外套をかぶり、髪をすべてフードにおさめる。短くなった髪はさっきよりは目立たなくても、金色のままだから。床に散らばった髪をすぐに片づけて、拾えなかった分はセアラが火《ベイ》で焼いた。一本でも残っていたら、そこにいたことがばれてしまう。
二人が着替えて戻ってくると、そこにはすっかり旅支度をしたエノリアと、窓の外を伺うセアラが居た。
「いつでも出発できる」
「よし、早く行きなさい。もう、そろそろこの屋敷に入ってくるようだ」
セアラは窓の外を伺ったまま、振り返ろうともしない。ランとミラールはエノリアを挟んで、その部屋を出ようとした。だけど、二人は一度振り替える。
ずっと、見てきたセアラの背中……。行き先の無い旅が彼らを待っているのだ。
「行ってくる……」
「必ず、帰ってきます。セアラ」
すると、セアラは振り返って、にっこりと笑う。何も企んではいない笑顔。小さい頃は、今より多く見せていた笑顔だ。
「当たり前じゃないか。君たちの家はここで、君たちは私の自慢の息子達なんだよ?」
ランとミラールは、その言葉を胸に刻み、裏口から出ていった。そして、自分達の愛用の馬を引き出し、エノリアを間に挟んで【緑の館】を出ていく。
次に、いつ帰って来るか分からない。でも、ランもミラールもエノリアの旅に着いていくことに依存はなかった。ランは、自分の選んだものと自分の産まれ持ったものを理由に、ミラールはランの選んだものともう一つの彼の目的を理由にして、旅立つのだ。
「どうするつもり?」
馬で駆けながら、エノリアが声を張り上げた。
「ひとまず、強行突破。そして、ラントへ」
「ラスメイに会うの?」
ミラールの問いにランは頷いた。
「エノリアの髪の色をなんとかするのが、先決だ!」
三人は駆けていく。ひとまず、旅は始まったばかり。終着点は欠片さえも見えない……。
◇
【緑の館】に残ったセアラは、ひとり客人を待っていた。玄関の扉が叩かれるのを待つ。しばらくすると、その音は高らかに一人きりの家に響いた。
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたその人に、セアラは嘲笑を浮かべた。
「まさか、ご本人がね……」
「月の娘《イアル》とエノリアのことは聞いただろう?」
そこには、創造神《イマルーク》の末裔が立っていた。冷ややかな表情をセアラに向けている。
「貴公が何か関わっていることは、承知している」
「水魔術師《ルシタ》をやられたし返しかい?」
「不審な点がある。城で話を聞きたい」
ゼアルークは淡々と自分の用件を話した。セアラは唇を歪める。その顔に悪意がこもった。
「力を借りたい、と素直に言えないものかな…」
「では言おう。緊急事態だ。力を貸して欲しい」
お願いをしているのに、高みから命令している口調だった。セアラは妥協したように苦笑すると、立ち上がった。それはゼアルークの申し入れに了承すると言う意味でもあった。だが、彼には他に目的がある。蒼い瞳の少年…。
セアラは、唇に笑いを刻む。
(……出てきたか……。エルドラ……)
「この事態に、一人隠居を決め込むわけにもいかないからね。ついて行くよ。ゼアルーク」
王の敬称を省かれたことに、眉を寄せたが、とくに何も言わずゼアルークはセアラと伴って、城へ向かう。
【緑の館】はセアラがその敷地からでた瞬間、閉ざされた。何人かの従者の目の前で、門は独りでに閉じたのだった。セアラの正体を知らない彼らは、それを不思議に思ったが、ゼアルークの後を着いて城へ帰って行く。
後で、屋敷を調べる為に戻ってきて、初めて強力な結界が張られていることに気づくだろう。
3人の思い出を守るように、屋敷は眠りに入る。いつか、誰かがここへ帰って来ることを、静かに待ちつづけるのだ。