ムジカテラス
お知らせ
3.闇魔術師《ゼクタ》
夜が明け始め空が少し明るくなってきた。シャイマルークの町から出る街道で、6人の兵がひっそりと見張りを続けていた。表向きには、シャイマルークで起こった強盗の犯人探しではあったが、裏はもちろん、エノリアを捕まえるのが目的であった。
出入りする者を逐一呼び止めて調査していたが、真夜中辺りからめっきり人の流れは途絶えていた。
夜は3人ずつの当番で、ずっと見張っていたが、ここになって気持ちがすこし緩む。
「もう、そろそろ日の出か?」
「あーそうだな」
「来るなら、夜中だよなあ…」
両手をあげて背中を伸ばした一人が、妙な匂いに気づいて、あたりを見回した。
「なあ、なんか焦げ臭くないか?」
「そうかあ?」
「いや、確かにするぞ」
一人が振り返ると派出所として使っている小屋の裏側から煙が上がり、やがて赤い炎が見えだした。
「お、おい!」
「はあ?」
「み、水!」
あたりは騒然となった。火は風に煽られてまたたくまに大きくなる。3人は眠っている者たちも叩き起こした。
消火作業に当たる彼らの背後をすかさず一つの影が横切った。馬の足に布を巻き、できるだけ音を消して。
6人のうち一人が気づいて声を上げたが、火に動揺した馬達は使い物にならなくて追うことが出来ない。
彼らは王の側近であるセイに不名誉な報告をすることになった。不審火の原因はおそらく火魔術師《ベイタ》の仕業だと推測は出来たが、都合よく吹いた風の方は問題とされなかった。こちらも、風魔術師《ウィタ》の仕業であったのだが…。
◇
「追ってくるか?」
「いや。馬が動けないみたいだったよ」
3人は岡の上でひとまず馬を止めた。朝日が射し始めて、辺りの草の露を輝き始めている。ランは振り返りつつ、少々唇を歪め、不満そうにつぶやく。
「少し、小細工すぎたんじゃないか」
「いいんじゃない? あんたたちの顔がばれなかったんだから」
正面突破というランの意見を却下にし、今回の案を出した本人は満足そうに頷いた。彼女の提案は夜が明ける直前の気が抜けそうな時間帯を狙うことと、二人の顔をばらさないこと、この二点だった。魔術を使って放火をするという点に、抵抗を感じているランを見て、半分ため息交じりにエノリアはいったものだ。
「もう少し融通きかせていいのよ、ラン。火の調整出来るぐらいの力はあるんでしょ?」
一日も一緒に居たわけではないのに、ランの性格をなんとなくエノリアはつかみ始めていた。一言で言えば実直。悪く言えば単純・頑固。
信念が強い人間は見ていて気持ちがいいが、臨機応変という言葉を知らなさすぎるのは、厄介なものだとエノリアは思うのだ。
「これから、どうするの」
馬を歩ませつつエノリアは前のランに声をかける。ランが先頭に立ち、エノリアの横にはミラールが馬をつけていた。
「ひとまず、お前の髪の色を変えようと思う。それは、目立ちすぎるから」
「ラントにいくんだ。さっき、言ってたけど聞こえなかった?」
「ラント?」
「次の町の名がラント。……手はまだ回ってないと思うけど、急ごうか?」
ラントはシャイマルークへ向かう人の宿泊町として栄えてきた。町の背後を守るように連なる山脈の稜線が美しく、観光町としても有名だ。
「よし、急ぐぞ」
3人は朝日を背に受けて道を駆けて行く。エノリアのことは極秘な為、ラントまで王の司令は出ていないようだ。朝市の始まったころ、あっさりとラントに入れた。市は朝早いのにも関わらず、にぎやかであった。
「ラントには、ちょっと頼りになる魔術師がいるんだよ」
ゆっくりと馬を繰りながら、3人は人たちをかき分けるようにして進む。どちらかというと、歩いている人の方が、上手に馬をよけていたが。
「魔術師? なんの? でも、髪の染め粉っていったら、光《リア》か……闇《ゼク》しかいないじゃない」
「光《リア》を消すのなら、闇《ゼク》だね」
「じゃあ、闇魔術師《ゼクタ》……?」
二人は声を潜めた。ランは相変わらず先頭にいて、二人の会話に入ろうとしない。どうやら、説明の類はミラールに任せているようだ。
「まあ、正確にいうと、ちょっと違うけどね」
苦笑してミラールは答えを誤魔化した。
「闇魔術師《ゼクタ》って本当にいるんだ」
「まあ、昔は光魔術師《リスタ》と同じぐらいはいたっていうからねえ。禁忌になってからは、めっきり見ないけど、でもそこそこいると思うよ」
「へえ、そんなこと知らなかったわ。てっきり、昔から少ないんだと思ってた」
「まあ、僕はセアラにきいただけだから、本当かどうかはわかんないけどね」
ふうん、と一人感心するエノリアは、ふと気づいた。さっきから鼻をくすぐる香り…。
「うわあ。いい香り。ね、ミラール」
朝の冷たい空気に運ばれる果実の香りがエノリアをはしゃがせる。
「そこのお姉ちゃん。どうだい? ラミュが今はおいしいよ」
商人がエノリアの歓声を聞き、声をかける。フードをすっぽりとかぶったエノリアの目の色は分からないようだ。
「うーん。いいなあ」
「買おうか。朝ご飯も買ってないしね」
ミラールが馬を降りて商人に近づく。
「ランもラミュでいいか?」
ミラールが馬を止めた気配を感じて振り返っていたランは、そこでやっと声を出した。
「カッシュはないのか」
「カッシュはまだ時期が早いね。そうだな、あと二十日ぐらいしたらおいしいだろうよ」
不服そうなランに商人はそう声をかける。ラミュで良いとミラールに言うと、ミラールは普通に三つ買おうとした。そこに、エノリアが馬上から商人に声をかける。
「傷のついたラミュを買ってあげるから、そのカッシュを一山つけない?」
ミラールは驚いてエノリアを振り替える。エノリアは愛想のよい声で商人に声をかけた。
「冗談だろう?お姉ちゃん。カッシュ一山は、利益にならないよ」
「傷のついた果物なんて、誰も買わないわよ? 一山が無理なら半分でも良いわ」
商人は腕を組んでうなり始めた。ミラールは商人とエノリアを交互に見る。しばらくして商人はにやっと笑った。
「上手いね、お姉ちゃん…。いいだろ、つけてやるよ」
「ありがとう」
ミラールは商品を受け取ると、馬に戻る。ラミュを一つずつ二人に分けて、感心したようにエノリアを見た。
「慣れてるね」
「小さい頃はずっと見てたのよ。両親と客とのやり取りをね。うち、父が商人だったから」
エノリアはラミュにかぶりつく。
「それにね、ラミュは傷がついているほうが、ずっとおいしいのよ。いつも売れ残ったのを食べたけど、絶対こっちのほうが香りも良いし、甘いのよね」
「へえ……」
ミラールが試しに食べてみると、目を丸くした。
「おいしい。これなら焼き菓子を作るときに砂糖要らないよ」
ミラールの反応に、ランが興味津々で口にラミュを近づけた。その途端、手に風がぶつかってきて、ラミュが弾き飛ばされた。ミラールの仕業だと思って睨みかけると、ミラールはきょとんとしている。
「ミラール……じゃないのか」
「どうしたのさ」
すると、横からしゃくっという音が聞こえた。
「ふむ、確かに傷のついたほうがおいしいな。今度から、これを屋敷に運ばせるとするか」
聞きなれた声がして、ランとミラールを驚かせる。
「ラスメイ!」
「久しぶりだな。ラン、ミラール。これは手土産としてもらってやろう」
尊大な言葉づかいの割に、声が高くてエノリアは不思議に思った。エノリアの位置からはその声の持ち主の姿が見えないのだ。
「ラン、手を貸せ。同乗させてもらうぞ」
ひょこりと、ランが持ち上げたのはまだ幼い少女だった。エノリアは言葉づかいと年齢の差に驚き、その額につけている環についた宝石を見て、また驚く。その宝石の色は青い宝石が中央にあり、その両横を透明な宝石が挟んでいた。
蒼い宝石の下にもひとつ小さな宝石がぶら下がっているが、これも透明である。つまり、水魔術師《ルシタ》と風魔術師《ウィタ》のフォルタなのだ。
「ねえ、ミラール。フォルタってこんなにごろごろいるものなの…?」
ここ2日で二人のフォルタと、そして最高魔術師にあった。こんなことは一生のうちにあるかないかだろうと思う。ミラールの苦笑を気にも止めず、ラスメイと呼ばれた少女をみつめる。
驚いた表情のエノリアに気づいて、彼女はすこし胡散臭そうにランをみあげる。
「つれは何者だ。また、厄介ごとを持ち込んだのか」
「今回の依頼の関係者。厄介事とは人聞きが悪いな」
「光《リア》の塊ではないか…。太陽の娘《リスタル》にはあったことが無いが、それ並みではないのか」
ランは、真面目な顔をして口をラスメイの耳に近づけた。
「お前の屋敷で話したい。ここじゃ、誰が聞いているか分からないからな」
「いいだろう」
馬を再び歩ませ始めた。ラスメイと呼ばれた少女は、ランの前に座って馬に揺られながら、ラミュにかぶりついている。後ろをついて歩き始めたエノリアは、重大なことを思い出した。
「ミラール、あの子、光《リア》が分かったわよ……。ということは」
「うん。彼女は闇魔術師《ゼクタ》でもあるんだ。まあ、秘密だけどね。ばれたら、こんなとこでは暮らせないよ」
闇魔術師《ゼクタ》と水魔術師《ルシタ》と風魔術師《ウィタ》、そんなフォルタは少ない、いや、フォルタでさえ、少ないのだから彼女以外にはいないだろう。
「で、何歳なの?」
セアラの件で魔術師に対する年齢についての常識を覆されたエノリアは、おそるおそる聞く。加えて、あの言葉づかいなのだから、百歳ぐらいとみているのだが。
ミラールはそんなエノリアの心情を察して、吹き出してしまう。
「彼女は見たまんまの年齢だよ。十才」
「へえ……」
唖然とするエノリアに、ミラールは言葉を続けた。
「セアラは特別だよ。魔術師だって歳をとるんだ。歳をとるのは体の中の要素の関係とか言われているけどね…。セアラは歳を取れないんだよ…」
「へ?」
ミラールは、何とも言えない表情をエノリアに向けた。苦笑なのか困惑なのか、よく分からない笑みを残す。
「彼は死なない。いや、死ねないんだと思う」
エノリアは返す言葉を失った。誰だって死んでいく。そんなのはもう神の領域ではないか…。
「いつか死ぬのかな…。でも、ちょっとやそっとじゃ、死なないだろうな」
「ねえ、ミラールとランは、何故、あんな人と住んでたの?」
エノリアはずっとききたかった質問を純粋にぶつけてみる。セアラの正体を知ったら、おそらく誰もが思うだろう。
「ぼくはね。あの屋敷の前に捨てられていたんだって。セアラはランを引き取った後だったから、一人も二人も一緒だって、ぼくも育ててくれたんだ」
ミラールの茶色い目に、初めて微笑みとは違うものが宿った。エノリアは声をかけず、ミラールをみつめる。
ミラールは腰に差していた笛を取り出す。一本の質素な笛である。これが彼を音楽の世界にいざなった。
「この笛はそのとき、産着に入ってたらしいんだ。これは、両親の唯一の手がかりなんだ。ぼくが音楽家になろうと思ったきっかけでもあるし…」
ミラールは、自分を見詰めているエノリアに微笑んだ。
「この旅に出ようと思ったのはね、エノリアを助ける為でもあるけど、両親を捜す為でもあるんだ。いままでも、ランと一緒に、セアラからの頼まれ事ついでにいろんな町を回ったよ。両親を捜しながらね」
ミラールはふっと笑った。こんな寂しげな微笑み方も出来るのだと、妙な感心をエノリアはしてしまう。
「ごめんね。私情がからんで、純粋にエノリアの為って訳じゃなくて」
本当に申し訳なさそうなミラールの表情に、エノリアはかえって焦ってしまった。
「いいよ。そんなの。私だって、本当なら独りでしなくちゃ行けないことだもの…この旅は」
「多分、ランはそんなぼくの目的を知ってるから、反対しなかったんだと思う」
ミラールは笛に目を落とした。
「いつも、いつも、ランはぼくのこと心配してくれる。自分の背負っているものは何倍も重いはずなのに、人のことばかり心配してる…。悪い奴じゃないんだ」
「…うん…。そうね…」
エノリアは自分が寝台から抜け出したときのことを思い出した。不器用だけど、一度懐に入れたものは決して見捨てないという人だろう。
「ランの事情は、ぼくからは話せない。きっと、ランがいつか話すと思う。話さざるを得ない状況が来るまでは、知らないほうがいいよ」
エノリアは頷いた。
「ありがとう。教えてくれて。両親が見つかるといいね」
「うん…」
ミラールは柔らかい笑顔を見せる。エノリアはこの笑顔を見るたびに、ほんわかとした気分になるのだ。この笑顔は彼の財産だと思った。